7月 25
ビーヤング7月号には、「鬼」と題して、「慈悲」について描きました。
「鬼」と言えば、やっぱり「桃太郎」ですよね。
それにしても「桃太郎侍」と言っても、最近の子供はほとんど知らないでしょうね。知らない人は、お父さんお母さんから聞いて下さい。
越後製菓だったか、かきもちのCMに高橋英樹が桃太郎侍の格好をして出てきますが、何も知らない人からみたら「この格好は一体何? 」と思うでしょうね。
さて、「慈悲」の解説についてですが、「慈悲」とは仏教で「抜苦与楽」を表し、その説明として「苦を抜くを慈といい、楽を与うるを悲という」と掲載してあります。
これは曇鸞大師の「浄土論註」にあるもので、親鸞聖人も教行信証証巻の中に引用なされています。
ご参考まで。
それにしても、すべての人に「慈悲」の心を持って接するということは、何と難しいことでしょう。
相手に応じて、接し方が変わる。それは当然のことですが、誰にでも嫌みなく接するようになりたいものです。

7月 20
故郷の話を書きます。
石見銀山が世界遺産に登録されました。
当然、「石見銀山って何?」という人は多いでしょう。私も歴史好きでなければ、同じ島根に住んでいながらも興味がなかったでしょうね。
石見銀山は、特に毛利元就と尼子氏、大内氏などが争奪戦を繰り広げた銀山で、徳川時代も幕府の大きな財源となった鉱山です。正直、観光地としては、見て楽しいものがある訳ではないので、行っても「なーんだ」と思う人が大半でしょう。
詳しいことは「石見銀山」のサイトをご覧下さい。
ともあれ、世界遺産に登録されたことにより、「島根の史跡」から「世界の遺産」と思いっきりランクアップした訳で、「石見」の名前も世界に知れ渡るようになりました。これはすごいことです。
残念なるかな、私の出身地の「島根県石見町」は、平成16年に合併して「邑南町」という何とも芸のない名前の町になりまして、今にして思えば「石見町」の名前を残すべきであったと、思う次第です。
旧:石見町には様々な特産があり「石見和牛」だの「石見高原牛乳」だの、「石見」の名前がつくものが多くありましたし、もちろん今でも存在します。これは、島根県西部の他の地域ではなかなか見られないことです。しいて言えば益田市の「石見空港」ぐらいでは?
「石見」が世界に知られるようになった今こそ、旧:石見町の特産品を「石見ブランド」として売り出す時なのではないか、と思いましたね。
もっとも、今現在は私も島根に在住している訳ではありませんので、ここでこのようなことをほざいてもどうにもなりませんが、是非、故郷石見の皆さんで、がんばって盛り上げて欲しいと願っております。
過疎の町の、生き残る一つの術かと。
7月 12
私の生まれた街にはJR(当時は国鉄)は走っていませんでしが、気動車に乗ることにいつもあこがれていました
鉄道が大好きだったんですよね。
バスで30分ぐらい走ると、ようやく「因原駅」というJR三江線の駅がありました。
私が子供の頃は、あのオレンジ色の気動車が2両編成ぐらいで運転されていましたね。懐かしいです。あの気動車に乗りたくて乗りたくて仕方が無くて、何か理由をつけては、江津や浜田へ行きたがっていた頃のことが思い出されます。
乗っても何もないんですけどね。
それにしても、三江線が存続しているのは謎ですね。いつ廃止されてもおかしくありません。
子供の頃にあこがれたからこそ、消えないで欲しい。そんな願いを込めたかどうかは知りませんが、ビーヤング5月号の表紙には、三江線を描きました。

絵の元となったのは、江津市にある「千金(ちがね)駅」です。
いつもはPhotoshopで彩色するのですが、今回だけ「懐かしい雰囲気」が出したくて、コピックというカラーマーカーで着色しました。アナログな彩色は久しぶりでした。
今はもう、オレンジ車体の気動車は走っていません。1両編成のワンマンカーで、寂しいものです。
でも、山間をのんびりと走る姿は、たまらない趣きがあって、私は大好きなんです。
いつかまた、乗ってみたいですね。
ちなみに、三江線については石見川本鉄道研究会という秀逸なサイトがありますので、そちらをご覧下さい。
7月 10
とりあえずブログを設置してみました。
インストールに手間取りましたが、なんとか投稿できているようですね。
気の向いた時に、日々の出来事や雑感、マンガやビーヤング作成についての小話について、このブログで綴っていきたいと思っています。
どうぞ、よろしくお願いします。
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