自分と一体になってしまった丸ペン軸

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NHK『プロフェッショナル』で、浦沢直樹先生が紹介されていた時、丸ペン1本で仕上げていると話しておられました。
丸ペンであれだけの強弱ある線を書こうと思えば、筆圧が結構必要なんですよね。肩はこるし、腰も痛いし。
相当、ご苦労されているだろうな、と番組を見ながら思いました。

特に誰かのマネという訳ではありませんが、私も丸ペンのみで書いています。
Gペンを使うと、ものすごい太い線になってしまいます。それだけ無意識のうちに手に力を込めているのでしょうか。
少女マンガなどの繊細な線を、いつもうらやましく思って見ています。

それはそうと、使っている丸ペンの軸は、私が小学生の時に購入したものです。
丸ペン軸
田舎の町に、1軒しかない書店。丸ペン軸なんて、他に誰も買う人はいませんでした。
書店のおばさんも「あんたが買うと思って、仕入れておいたよ」と言ってくれたのを思い出します。
それほど、マンガを書くのに熱中していた時がありました。

ただ、小学生の手には、丸ペンは馴染まなかったですね。
書いても書いても紙を削って、線がにじむのです。
だから、どちらかというとカブラペンを使うことが多かったですね。

以来、20年以上が過ぎ、今でもそのペン軸は私の手の中で活動しています。
というか、こうなってくると他の軸が使えないですね。手になじみすぎていて。
自分と一体になっている、というか。
すべての苦楽を共にして来た旧友のような、……懐かしい思い出が、ここにすべて封じ込められているような気がします。

他の人から見たら、バカみたいな話ですけどね。

今夜も、カリカリと丸ペンが原稿用紙を削る音がしています。

石見銀山の悪代官が『水戸黄門』に登場!

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実際に悪代官が石見銀山にいたかどうかは知りませんが、今日のテレビドラマ『水戸黄門』は、 石見銀山が舞台でしたね。
ついつい『石見』と聞いて、島根の血がうずき、少し見てしまいました。

石見銀山と言えば、徳川幕府の直轄領として有名ですが、戦国時代は毛利と尼子の争奪戦が繰り広げられた地です。
当然、私の出身地である邑南町も、その激戦の渦中にあった訳ですが、尼子方の武将として石見銀山攻防戦に活躍した武将・多胡辰敬は、邑南町中野の「余勢城」の出身と言われます。

それはともかく、話題が地方を巡業する番組というのは、『サザエさん』のオープニングみたいなもので、地元の人にとっては非常にうれしいのですが、そうでない人にとっては「あっ、そう」ってなもので。
ご老公が石見銀山をアピールして下さったのは有り難いですが、観光に結びつくかと言うと、そうでもないですからね。

まあ、内容はあいかわらずの勧善懲悪で悪代官こらしめろ!という流れですが、驚いたのは代官・青木役に江藤潤さんが登場していたことです。いやいや、久しぶりにお見かけしました。
江藤さんは、アニメ『親鸞聖人』の第4部で平太郎役として声優出演されています。
もうかれこれ、10年以上も前のことになりますか。あの時の江藤さんの声は、まだ張りがあて若々しく、正に平太郎役にぴったりだったのですが、今では中年役でしたか。
悪代官役でなくてよかったです。妻役の坂口良子さんとコミカルな演技をされ、とても楽しく見せて頂きました。

そのお声にも、10年前の「平太郎」の時の面影は、しっかり残っていましたよ。

(放送内容については、TBS『水戸黄門』のサイト『昼行灯とあっぱれ女房・石見』をご覧下さい。江藤さんの写真も掲載されています)

父親に見せたい「ブレイブ・ストーリー」

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時間ができたら観ようと思い、テレビ放映される映画を日頃から録りためています。
ほとんどが、観る事ができないのですけどね。1日24時間うち2時間程度をそのような時間に当てる余裕が、なかなかありません。

この年末年始には、せめて何本かはと思い、まず選んだのがアニメ映画「ブレイブ・ストーリー」でした。
宮部みゆき原作の小説を、かのGONZOがアニメ化したものです。
声優陣も「これでもか!」と言うほど俳優やアイドルの使いまくり。お笑いのインパルスまで出ているとは……スクリーンの声となってしまえば、どれも普通。やはり本職の声優にまかせた方がいいのでは?
それはともあれ、さすがGONZO作品。その作画のクオリティーの高さには、ただただ驚かされました。しかし、この内容でここまでやるか!とも思いましたけどね。

原作を読んでいないので分かりませんが、状況説明は全くなく、あっという間に異空間での旅に展開していく乱暴な描き方がいいのか悪いのか。
なるほど、何もとりえがない主人公が、家庭の悲劇を通して成長してゆく内容であることは、前半で十分分かりますし、最後の女神とのシーンで、それがハッキリするので、その点は分かりやすいと言えばそうだ。
「自分の願いさえ達成できれば、自分さえよければ、他人はどうなってもいい」という行動が悲劇を生むという流れは、まさに仏教の「自利利他」と言えるでしょう。
「自分にふりかかる運命は、良いことばかりではない、悪いことも当然ある。それを真正面に受け入れる」という主人公の最後の誓いも、何やら「釈尊とキサーゴータミー」の話を思い出してしまいました。

主人公の両親の離婚や心中、母親の事故……このアニメ作品中のことだけではなく、そのような親の都合に巻き込まれて悲しい思いをする子供たちは、確かに多くいることでしょう。
作品中盤に、離婚して家を出て行った父親が、自分の思いを語るシーンがあります。
父親が言うには「自分はやりたいことを我慢して、仕事一途にやってきたが誰も認めてくれない。新車を買いたい思いも我慢して家族のために頑張ってきた。しかしそれは、自分の臨んだ人生ではないので、離婚した」といった内容のことを語ります。
父親は、それっきり出てこないのですが、主人公の少年が最後に得る結論「人生における幸せも不幸せも受け入れて、自分の欲望を満たすことを優先せずに、他人の幸せを願う」は、まさに離婚した父親に気づかせねばならないことではないか、と私は思いました。

悲劇を乗り越えるテーマは感動的ですが、それが「家庭の悲劇」となると、子供相手にはやはり重い。
どちらかと言えば、子供を持つ親に観てもらった方がいい。
そんな「ブレイブ・ストーリー」でした。

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